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2013 年 5 月 のアーカイブ

事務所にて。。。友人との再会

2013 年 5 月 24 日 Comments off

皆さん、今日は暑いですね。
渋谷を歩いていて、街の温度計を見ると29度を指していました。
今年の夏も例年に比べて暑いんだろうか。
毎年暑さが厳しくなっているように感じるのは僕だけではないでしょう。
世界各地で起きている竜巻も気になるし地震も怖い。
台風や局地的な大雨も心配です。
異常気象……
最大規模……
記録的……
この夏はどれくらい記録を更新するのだろう。
異常気象に対して麻痺だけはしたくないですね。
しょうがないと言う言葉で決して片付けることは出来ません。
未来は日々の積み重ねですから。

打ち合わせで渋谷公園通り近くの友人の事務所へ伺った。
僕が20代のころファッションの仕事を、共に行っていたときの仲間だ。
もう、10数年以上も前になる。
年月が過ぎ去りこうやって、また一緒に仕事が出来ることは本当に素晴らしいことで、
別々の道に進みながらも、お互いが頑張ってきたことの証でもある。
ある程度の時間を生きていくと、出会いと別れは数限りなく訪れる。
常に思うことだが、人のつながりは何事にもかえ難いもので、人との付き合いはお互いの努力と思いやりの上に成り立っている。
友人を見ると、その人がどうやって生きてきたのが分かるものだ。
それくらい、友人はその人を物語る。

友人とはプライベートでは顔を合わせていたが、仕事を通して向き合うのは10数年ぶりになる。
テーブルを挟んで対面した友人の顔はとても良い顔をしていた。
自分を裏切らずに頑張ってきた証だ。
友人には僕はどう写ったのだろうか。
まぁ、聞くことは無いだろうな。

誰しも自分の道を歩いていかなければならない。
決して投げ出すことの出来ない自分の道を。
自分の顔と体と生涯付き合いながら。
自分も友も大切にして行こう。
歩き続けよう。
では。また。

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事務所にて。。。外に出よう!

2013 年 5 月 22 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
いやー、良い天気だ!
あっと言う間に過ぎ去ってしまうこの素晴らしいこの陽気。
だからこそ、時間を大切に満喫したいですよね。

先日、ある知人と話していた時のことだ。
その知人は他愛も無い会話の中から、仕事に対する不満やプライベートに対する鬱積した思いを口にし始めた。
僕は案外、人の悩みを聞く機会に恵まれる。実際にそれらの悩みに対して出来る限り一生懸命に聞いてきた。
悩みと言うのは明確な答えを求めている時よりも、聞いてもらうだけですっきりすることが多い。
この日も、何かのタイミングで知人は悩みを口にし始めたのだ。
よく話しを聞いていると、状況は様々で多くの人が介在しているぶん、複雑で迷宮のように思ってしまいそうになっていた。
しかし、じっくりと聞いているうちに、原因は100%では無いが本人の中にも存在しているのに気付き始めた。
本人自体の気持ちが全て内向きになっていたのだ。
内容は知人と僕との話しなので触れることはしないが、会話の節々に、
「これをやったらこうだよね……」とか、
「きっとこうなってしまうと思うんだよね……」など、
始める前の段階で全ての結果が良くない方向に想像し、気持ちが内向きになっていたのだ。
もちろん、仕事の話だから最大限のリスクを排除する必要はある。
だが、全てを否定的に見ると、答えは内向きになってしまう。
さらに掘り下げて話しを聞いてみると、内向きの原因は仕事ではなくプライベートが大きく影響していることがわかった。
自分に置き換えて考えてみると、確かに個人的な悩みで落ち込んでいると、自分では気付かないうちに、仕事や周りに良くない影響を与えていることがある。
だからこそ、目の前にある問題は、それ以上でもなくそれ以下でも無いことを強く意識しなければいけない。
目の前にある問題は、自分のモチベーションとは全く関係が無く、切り離して考えていかなければならない。
これは、最初のうちは非常にしんどいことだが、気持ち次第でいかようにもなるんだと意識をして行く。日々、ジョギングをしたり運動をしたりして体力をつけるのと同じで、自分の中で意識をするトレーニングが必要になってくる。

TPPの問題に対しても同じような印象を持つのは僕だけだろうか。
前政権からずっと揉めていた、TPP交渉に参加するかしないかだ。
TPPに対しては反対も賛成も様々な意見があり、そこには立場と利権が介入しているのが良く分かる。
しかし、そもそも交渉に参加をしないことは有り得ないと思っていた。
参加が遅れれば、交渉ごとは不利になるのは明らかで、誰にだって分かることだ。
それを、交渉することに反対する意味が分からなかった。
ちょっと、論点が変わってきたので軌道修正をしよう。
TPPに対して反対をする人たちの意見が、全て内向きになっていることが気になるのだ。
米が自由化されたら日本の米農家はだめになる……
医療は崩壊する……など。
全ての反対勢力が口にすることは、全て内向きで駄目になると言う前提の意見が多すぎる。
内向きになっているときは、大概、今の立場を守りたいと言うエゴが根底にあることが多い。
そもそも、自由化されたらもちろん海外から様々な商材が日本に入ってくる。
今まで国内で守られた中で行って来た立場からすると、それを脅威に思うのは当然だが、逆に考えれば外に出して行けることでもある。
市場は広く、未開の地へチャレンジをすることが出来るのだ。
日本は技術もそうだし創意工夫が出来る素晴らしい国だ。
全てに言えることだが、内向きにこもってしまっては良い方向へ行くことなんて何も無い。
時間は黙っていても過ぎていく。
だったら、気持ちも外に向け、前に進んでいく方がずっと健康的だ。
太陽を浴びて、心の風通しよくしてあげて、せっかくだから外へ出よう!
では、また。

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事務所にて。。。セコイヤチョコレート

2013 年 5 月 13 日 Comments off

連休もあっと言う間に終わってしまいましたね。
皆さんは少しはゆっくり出来たのでしょうか?
お子さんがいらっしゃる家庭は、逆に大変だったのかな。
それにしても、本当に楽しい時間が過ぎるのは早いですね。
連休が前半後半に別れていたせいもあって、僕は後半に休めて普段出来ない家のことや、友人宅に行ったりとリフレッシュ出来ました。
桜が散り、春が来て……さぁ、ゴールデンウィークだ!なんて言っているうちに梅雨がやって来て、すぐそこに夏の気配を感じてしまう。
時間は平等に与えられ、あっと言う間に過ぎ去ってしまうから大切に使わないとね。

 

 

自分で自分のことを説明するときに、必ず出てくるキーワードは甘党だ。
小学生の頃のこずかいは、ほとんど甘いものに消えて、毎日アイスキャンディーとおはぎを買って食べていた記憶がある。
前回のブログでも書いたが、小学校の頃は立派な体格をしていた。
あんこからチョコレートまで甘いものは何でも好きで、時折、父親が買って来るトップスのチョコレートケーキを、大人になったら絶対に一人で食べてやると言う野望を持ち続けていた。
そして、もう一つ。僕のお気に入りのお菓子があった。
それは、セコイヤチョコレート。
駄菓子にしては1本30円と、子供にしては決して安くは無いこのチョコレート。
スタンダードなチョコタイプとイチゴチョコの2種類あって、ウエハースをチョコレートでコーティングしてある、ちょっと豪華なお菓子だった。
しかし、このセコイヤチョコレート、どこにでも売っているお菓子ではなかったのだ。
当時の僕の甘いものに関する情報収集能力はそれなりに高く、町の駄菓子屋情報はほとんどインプットしていた。その中でも、セイコイヤチョコレートを取り扱っている駄菓子屋は家から自転車で30分以上走ったところに一軒だけあったのだ。
それだけ苦労して買いに行っても売り切れの場合もあるし、イチゴ味に関しては売り切れている時の方が多かった記憶がある。
だから、僕の中でセコイヤチョコレートは貴重なチョコレートで、特にイチゴ味に関しては幻の商品だった。

時は過ぎて20年。
PIED PIPERも始まり、すっかりファッションの人になっていた僕。
中学、高校と運動も好きだったこともあってどんどんやせて行き、大人になるとジム通いの成果もあって、体系もずっとスリムになっていた。
だが甘党は健在で、もちろん、野望だったトップスのチョコレートケーキ一人食いも、PIED PIPER2年目に適えることが出来た,
そんなある日のことだ。
PIEDPIPERの後輩と話していたときに、なぜか昔好きだったお菓子の話題になって、僕が熱くセコイヤチョコレートの話しをしていた。
セコイヤチョコレートはその時も、どこにでも売っているお菓子ではなく、ごくたまに油断したときにコンビニのお菓子棚の下の方に置かれていることがあった。
熱くセコイヤチョコレートの話しをする僕に、後輩はあきれながらもどこかで見つけたら買っておきますねと、お決まりの社交辞令で仕事に戻って行った。
しかし、数日後に、なんとその後輩がセコイヤチョコレートを手に入れてきたのだ。
「タカさんこれですか?」
少しだけパッケージデザインは変わっていたように思えたが、形状と手に持った時の感触は当時のままだった。
どこにあったと後輩に尋ねると、たまたま入ったコンビニに売っていたと言う。
何年かぶりに食べてみたイチゴ味のセコイヤチョコレート。
程よい甘さとウエハースの軽い食感は、相変わらずの秀逸だった。
あっと言う間に食べ終えてしまった僕は、包み紙を改めて見ることにした。
生産元にフルヤ製菓(たぶんね)とあって、住所とお客様相談センターの電話番号が載っていた。
僕は店の電話から(当時は携帯もパソコンも無い時代)フルヤ製菓さんに電話を掛けて、どこで売っているかを尋ねることにした。
電話に出てくれた中年のおじさん(たぶんね)は、とても親切に対応をしてくれて、
売っている場所を聞くと、都内では数箇所で渋谷近辺には売っていないと言う。
それは困ると食い下がる僕は、とにかく、食べたいからケースで売ってくれないかと懇願してみたが、小売は一切していないんです……とおじさんも困った様子。
それは会社の決まりごとで、必死に食い下がる見知らぬ男の要望なんてどうしようもない。
僕は小学校のころからの大ファンでと、どれだけセコイヤチョコレートが好きだったかを力説していた。
しかし、会社の決まりは決まりで、おじさんも申し訳ないです……の一点張り。
僕は押し問答を繰り返す中で、だんだんと怒りを覚えてきた。
こんなに食べたいと言っているのに、しかも、ただでくれとは言っていないと!声を荒げる僕。普段めったに怒らない僕が声を荒げているから、後輩は何事かと思うと駄菓子のチョコレートをどうやったら手に入れられるかで必死になっている僕に、きっとあきれたことだろう。ふだん、仕事もこれくらい一生懸命にやればいいのにと後輩が思ったかはしらない。
だが、おじさんにはその思いが届いた。
「わかりました……。そこまで当社のお菓子を食べたいと言ってくださるお客様と、私は今までお話ししたことがありません。絶対にやらないことなのですが、特別に私から1ケースをプレゼントします」
狭い店を行ったりきたりしながら話していた僕の足が止まった。
「えっ?」
「ここまで思ってくれるのは、お菓子メーカーとしてとても光栄なことです。ですが、このことは二人だけの秘密にしていてくださいね」
と、まさに思いもよらないおじさんの対応に、僕はどうしようもなくなって、
「それは駄目です!お金を払います!」
「いえ、私からプレゼントします」
「いえいえ、お金を!」「いいえ、大丈夫です」
と再び押し問答が始まったが、最終的にはおじさんの行為を受けることにした。
僕は受話器越しに何度も深々と頭を下げてお礼を述べていた。

それから数日後。
チョコレート味とイチゴ味のセコイヤチョコレートが満載になったダンボールが店に送られてきた。
後輩スタッフと分けながら大事に食べたことは言うまでも無い。
今でもどこにでも売っているお菓子では無いが、当時よりは売っている店舗は増えているので、たまに見かけることがある。
やはり、その時もガバッと大人買いをしてしまう僕がいる。
皆さんもぜひ、コンビニの棚の下の方に置かれているセコイヤチョコレートを見かけたら、一本手に取ってみるといいですよ。
では。また。

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事務所にて。。。少年時代。。。プロローグ

2013 年 5 月 2 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
いい季節になりましたね。
花粉症も落ち着いて来たので、ようやく春を満喫できます。
さて、このブログは僕専用にリニューアルしたこともあるので、連載でも書いてみようかなと思っています。
そう、僕の個人的な話を書いてみます。

第1話
「ジャンケン屁が出るブブッブー!ブブッブー!」
「ブブッブー!」
「やりー、勝ち!!」
これは、誰が考案したのか忘れてしまったが、たしか小学校4年生のころに流行ったジャンケンの掛け声だ。

1980年、東京の蒲田と言う下町に僕は生まれた。
家族構成は両親に兄が二人。そして、父方のおばあちゃんの6人家族。
父親は悪役俳優を生業とし、かなり特殊な家庭環境だった。
どんな風に特殊だったかは、書いて行くうちにエピソードが出てくるだろう。
僕の生まれ育った蒲田は、社会の授業で習った太平洋ベルトの一角、京浜工業地帯にあり多摩川を挟んだ川崎の隣町だ。
羽田、蒲田、川崎と言うと東京に住んでいる人たちからは、柄が悪いとか怖い町とか、行くと必ずかつあげに会うとまで言われてしまう町だった。
まぁ、実際に住んでいた僕からしても、お世辞にも上品な町とは言えない。
親父が空き巣常習犯で息子が万引き常習犯、絶対に近所を狙わないと言う暗黙のルールがあったから通報もされずに不思議と成り立っていた家族も居たし、金八先生の腐ったみかんシリーズは、隣の中学校がモデル校だと言う噂もあったし、僕が通っていた中学校では、よく廊下をバイクが走り抜けたし、教室にロケット花火が打ち込まれることもあった。週に何度かは警察がやって来て、どこからどう見ても中学生には見えない貫禄を持った先輩たちと睨み合うこともたまにあった。
噂によると、初のコンビニ強盗は蒲田で発生したなんて言う不名誉な噂もあったし、たまに見かけるギターケースにロンドンブーツを履いた長髪の風変わりな男性が、ギタリストのCharだったことは後から知って驚きだった。
夏になるとホームレス対僕らの公園の主導権争いもきまって勃発した。
こうやって文字にしてみると、本当にとんでもない町だな……と思ってしまうが、ここで暮らし育った僕としては、下町特有の人の温かさがあり、蒲田の町が全てで天国だった。
 そんな町の僕らの中心は、目蒲線(今は目黒線)沿いの小さな公園、3丁目公園だった。

「ウーウーウー!光化学スモッグ注意報が発令されました。屋外での遊びは控えてお家へ帰りましょう」
公害問題の最中で、夏の午後は毎日のように光化学スモッグ注意報が発令された。
相も変わらずに、この日もスピーカーから割れた音で注意報が流れると、小さい子供たちは母親に手を引かれ家へ帰っていった。
缶蹴り、ケイドロ、ドッチボールにキックベース、僕らはこの公園を隅々まで使って遊んでいたので、そうなると、公園は僕ら専用の遊び場と化す。
多少、喉が痛くなろうが、目がチカチカしようが、そんなことはお構いない。
公園を占拠し遊べることの方が僕らには重要だった。
「ジャンケン屁が出るブブッブー!ブブッブー!」
「ブブッブー!」
「やりー、勝ち!!」
ジャンケンに負けた奴が空き缶を足で抑えて、声高に数を数え始める。
みんなは散らばるように色んなところへ身を隠す中、僕はお決まりの茂みに隠れた。
僕は茂みの葉っぱの隙間から見える空を見上げるのがとても好きだった。
青空に浮かぶ夏特有の入道雲。
じっとその雲を見つめていると、僕の意識はどんどん雲に近づいていき、友達の嬌声も遠くなっていくように感じた。
僕の意識はいつのまにか、モクモクと立ち上る入道雲へと入っていく。
雲のベッドに横たわり、少しだけ千切って口へほお張ると、何故か入道雲は綿菓子の味がした。
僕は茂みに身を潜めながら、空想上で入道雲を自由に行きかう遊びが大好きで、ひとしきり雲の中で遊ぶと、缶を守っている鬼の隙をついて、一気に駆け寄り缶を蹴り上げた。
 甘いものが好きで、小遣いは全て駄菓子とアイスに消えて行った僕は、丸々と太っていて、きょうつけをするとオチンチンが膨らんだお腹で見えず、手首にはいつも輪ゴムをしているようなしわがあったくらいだ。
だが、足は速くて小学校の6年間、ずっとリレーの選手にも選ばれていたから、動ける明るいデブだった。
 必死に友達を探している鬼の隙をついて、缶を蹴り上げる。
青空に舞い上がる空き缶。
この3丁目公園、遊び場道路、駅前に続くアーケード、駅ビルの屋上。
多摩川の土手に広がる野球場。本門寺の裏山と力道山の銅像がある墓地。
とにかく、僕たちにとって蒲田の町の全てが遊びのフィールドで、いくらでも新しい遊びを思いつき、今では考えられないような危険なことも行っていた。
そんな、蒲田で繰り広げられた亀石家を中心にしたお話しを、これからか気が向いたときに書いて行きます。
では、また。

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