事務所にて。。。ニュースを見て感じること。

2014 年 10 月 3 日 Comments off

広島の土砂災害や御嶽山の噴火など、天災によって多くの尊い人命が失われました。
お亡くなりになられた方、そのご家族に心からのお悔やみを申し上げます。
また、被害に遭われた方々には、心からのお見舞いを申し上げます。

何度もこのブログでも書いていますが、私たちを取り巻く環境は大きく変わろうとしています。ここ数年の異常気象は多くの人たちが肌で感じていて、このままでは到底立ち行かなくなるのではと不安に思っています。
環境問題は70億人全ての人たちに影響を及ぼす重要な問題です。
俳優のディカプリオさんも国連で環境問題についてスピーチをしていました。
では、環境問題だけを考えれば良いのかと言うと、そんなことは無く、私たちの未来には多くの問題が山積みになっていることに気付きます。

そのうちの一つでもある社会システムの問題も、私たちの未来に大きな影響力を持っています。
経済の仕組みの在り方、イスラムの問題、中国の動向など。
環境問題の解決とは真逆の行為を世界中で行われています。
数か月前に台湾で起きた学生運動。
今まさに起こっている香港の学生運動。
ヨーロッパではパレスチナ、シリア、イラクなどのイスラム圏の問題に対して、多くの人たちが声を上げています。
世界で起こっている全てのことが、私たちの未来に直結をし、とてつもない影響力を持っていることを考えて行く必要があります。
そのためには、今までの歴史の中で人類がどのように歩んできたかを知る必要があります。
これは、学校の教科書で習った歴史ではなく、この社会がどのような遍歴を辿ってきたのかと言う、真実の歴史を知る必要があると思っています。

戦争はなぜ起きたのか?
貨幣制度はどのように始まったのか?
この長い人間社会の中で、誰が利益を得て、だれが不利益をこうむり続けて来たのか?
歴史認識って何だろう。
エネルギー問題の本質はなんだろう。
これから必要なことは、今まで私たちが当たり前に思っていたことに対して、そのままを受け入れるのではなく、なぜなんだろうと、一度自分で考える癖をつけることだと思っています。
テレビから流れる情報。
新聞で伝えられる情報。
インターネットから洪水のように押し寄せてくる情報。
日常生活の中で私たちは情報から逃げることは出来ません。
だからこそ、情報に対して自分で考える癖をつけなければならないのです。
考えるって作業は簡単ではありません。
トレーニングと同じで、時間を掛けて積み上げて行くしかないのです。
世の中の全ては、人の思考と想像力から生まれて来ました。
だからこそ、これからの未来を作るのは自分の思考であって、あなた方の思考かもしれません。
今までのように利己的な価値観ではなく、利他的な価値観をベースに思考の基礎を組んでいくことが良いと僕は思っています。
では、また。

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事務所にて。。。一年ぶりです

2014 年 8 月 25 日 Comments off

ブログを更新せずに、すっかりご無沙汰していました。
いや、ご無沙汰なんて言えないぐらい書いていなかった。
Facebookがすっかり主流になり、僕自身もそちらで近況をアップしていたことあり、ひっそりとこっそりと、このブログを再開することに決めました。
もちろん、Facebookにも久しぶりにブログを書いたよ!なんて投稿もしません。
ひっそりと、こっそりと、REBIRTH PROJECTのHPの片隅で、僕の思いの丈を綴って行こうと思います。

文章を書くことは自分の中にある感情の整理にとても良い効果があります。
人ぞれぞれだと思うけど、僕にとって文章を書くことは、改めて自分の内側にある思いを形にし、自分の心が少しだけ輪郭を持って見ることが出来る作業に近い。
やはり、この心が基本になって来きます。
自分の心がどこにあるのかを探すところから文章を書く準備をします。
忙しい日常を過ごしていると、一番最初に無くしてしまうのは、やはり心です。
最近は漢字の成り立ちを説明する方々がいて、テレビなどでも見聞きしていることですが、心を亡くして忙しいと書きます。
僕はこの一年間を振り返ると、やはり時間に追われた生活を送っていました。
その生活は今も変わらずで、忙しさは加速しています。
僕は雑誌などのインタビューでも、心の話しをすることがあって、心を失わないようにと偉そうなことを言っていました。
ところが、どうだ……心を亡くしていたのは自分だったではないですか。
こうやって、改めてブログを書くことで、自分が出来ていなかったことを改めて考えるきっかけになりました。

心を取り戻し、心がどこに向かっているのか。

約1年近くブログを更新をしていませんでした。
再開するきっかけをくれたのは、僕のブログを読んでくれていた方でした。
「気持ちはちゃんと届いていたよ。だから、書き続けて!」
嬉しい言葉でした。
だから、ひっそりと、こっそりと、そしてゆっくりとブログを書いていきたいと思います。
では、また。

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事務所にて。。。友人との再会

2013 年 5 月 24 日 Comments off

皆さん、今日は暑いですね。
渋谷を歩いていて、街の温度計を見ると29度を指していました。
今年の夏も例年に比べて暑いんだろうか。
毎年暑さが厳しくなっているように感じるのは僕だけではないでしょう。
世界各地で起きている竜巻も気になるし地震も怖い。
台風や局地的な大雨も心配です。
異常気象……
最大規模……
記録的……
この夏はどれくらい記録を更新するのだろう。
異常気象に対して麻痺だけはしたくないですね。
しょうがないと言う言葉で決して片付けることは出来ません。
未来は日々の積み重ねですから。

打ち合わせで渋谷公園通り近くの友人の事務所へ伺った。
僕が20代のころファッションの仕事を、共に行っていたときの仲間だ。
もう、10数年以上も前になる。
年月が過ぎ去りこうやって、また一緒に仕事が出来ることは本当に素晴らしいことで、
別々の道に進みながらも、お互いが頑張ってきたことの証でもある。
ある程度の時間を生きていくと、出会いと別れは数限りなく訪れる。
常に思うことだが、人のつながりは何事にもかえ難いもので、人との付き合いはお互いの努力と思いやりの上に成り立っている。
友人を見ると、その人がどうやって生きてきたのが分かるものだ。
それくらい、友人はその人を物語る。

友人とはプライベートでは顔を合わせていたが、仕事を通して向き合うのは10数年ぶりになる。
テーブルを挟んで対面した友人の顔はとても良い顔をしていた。
自分を裏切らずに頑張ってきた証だ。
友人には僕はどう写ったのだろうか。
まぁ、聞くことは無いだろうな。

誰しも自分の道を歩いていかなければならない。
決して投げ出すことの出来ない自分の道を。
自分の顔と体と生涯付き合いながら。
自分も友も大切にして行こう。
歩き続けよう。
では。また。

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事務所にて。。。外に出よう!

2013 年 5 月 22 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
いやー、良い天気だ!
あっと言う間に過ぎ去ってしまうこの素晴らしいこの陽気。
だからこそ、時間を大切に満喫したいですよね。

先日、ある知人と話していた時のことだ。
その知人は他愛も無い会話の中から、仕事に対する不満やプライベートに対する鬱積した思いを口にし始めた。
僕は案外、人の悩みを聞く機会に恵まれる。実際にそれらの悩みに対して出来る限り一生懸命に聞いてきた。
悩みと言うのは明確な答えを求めている時よりも、聞いてもらうだけですっきりすることが多い。
この日も、何かのタイミングで知人は悩みを口にし始めたのだ。
よく話しを聞いていると、状況は様々で多くの人が介在しているぶん、複雑で迷宮のように思ってしまいそうになっていた。
しかし、じっくりと聞いているうちに、原因は100%では無いが本人の中にも存在しているのに気付き始めた。
本人自体の気持ちが全て内向きになっていたのだ。
内容は知人と僕との話しなので触れることはしないが、会話の節々に、
「これをやったらこうだよね……」とか、
「きっとこうなってしまうと思うんだよね……」など、
始める前の段階で全ての結果が良くない方向に想像し、気持ちが内向きになっていたのだ。
もちろん、仕事の話だから最大限のリスクを排除する必要はある。
だが、全てを否定的に見ると、答えは内向きになってしまう。
さらに掘り下げて話しを聞いてみると、内向きの原因は仕事ではなくプライベートが大きく影響していることがわかった。
自分に置き換えて考えてみると、確かに個人的な悩みで落ち込んでいると、自分では気付かないうちに、仕事や周りに良くない影響を与えていることがある。
だからこそ、目の前にある問題は、それ以上でもなくそれ以下でも無いことを強く意識しなければいけない。
目の前にある問題は、自分のモチベーションとは全く関係が無く、切り離して考えていかなければならない。
これは、最初のうちは非常にしんどいことだが、気持ち次第でいかようにもなるんだと意識をして行く。日々、ジョギングをしたり運動をしたりして体力をつけるのと同じで、自分の中で意識をするトレーニングが必要になってくる。

TPPの問題に対しても同じような印象を持つのは僕だけだろうか。
前政権からずっと揉めていた、TPP交渉に参加するかしないかだ。
TPPに対しては反対も賛成も様々な意見があり、そこには立場と利権が介入しているのが良く分かる。
しかし、そもそも交渉に参加をしないことは有り得ないと思っていた。
参加が遅れれば、交渉ごとは不利になるのは明らかで、誰にだって分かることだ。
それを、交渉することに反対する意味が分からなかった。
ちょっと、論点が変わってきたので軌道修正をしよう。
TPPに対して反対をする人たちの意見が、全て内向きになっていることが気になるのだ。
米が自由化されたら日本の米農家はだめになる……
医療は崩壊する……など。
全ての反対勢力が口にすることは、全て内向きで駄目になると言う前提の意見が多すぎる。
内向きになっているときは、大概、今の立場を守りたいと言うエゴが根底にあることが多い。
そもそも、自由化されたらもちろん海外から様々な商材が日本に入ってくる。
今まで国内で守られた中で行って来た立場からすると、それを脅威に思うのは当然だが、逆に考えれば外に出して行けることでもある。
市場は広く、未開の地へチャレンジをすることが出来るのだ。
日本は技術もそうだし創意工夫が出来る素晴らしい国だ。
全てに言えることだが、内向きにこもってしまっては良い方向へ行くことなんて何も無い。
時間は黙っていても過ぎていく。
だったら、気持ちも外に向け、前に進んでいく方がずっと健康的だ。
太陽を浴びて、心の風通しよくしてあげて、せっかくだから外へ出よう!
では、また。

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事務所にて。。。セコイヤチョコレート

2013 年 5 月 13 日 Comments off

連休もあっと言う間に終わってしまいましたね。
皆さんは少しはゆっくり出来たのでしょうか?
お子さんがいらっしゃる家庭は、逆に大変だったのかな。
それにしても、本当に楽しい時間が過ぎるのは早いですね。
連休が前半後半に別れていたせいもあって、僕は後半に休めて普段出来ない家のことや、友人宅に行ったりとリフレッシュ出来ました。
桜が散り、春が来て……さぁ、ゴールデンウィークだ!なんて言っているうちに梅雨がやって来て、すぐそこに夏の気配を感じてしまう。
時間は平等に与えられ、あっと言う間に過ぎ去ってしまうから大切に使わないとね。

 

 

自分で自分のことを説明するときに、必ず出てくるキーワードは甘党だ。
小学生の頃のこずかいは、ほとんど甘いものに消えて、毎日アイスキャンディーとおはぎを買って食べていた記憶がある。
前回のブログでも書いたが、小学校の頃は立派な体格をしていた。
あんこからチョコレートまで甘いものは何でも好きで、時折、父親が買って来るトップスのチョコレートケーキを、大人になったら絶対に一人で食べてやると言う野望を持ち続けていた。
そして、もう一つ。僕のお気に入りのお菓子があった。
それは、セコイヤチョコレート。
駄菓子にしては1本30円と、子供にしては決して安くは無いこのチョコレート。
スタンダードなチョコタイプとイチゴチョコの2種類あって、ウエハースをチョコレートでコーティングしてある、ちょっと豪華なお菓子だった。
しかし、このセコイヤチョコレート、どこにでも売っているお菓子ではなかったのだ。
当時の僕の甘いものに関する情報収集能力はそれなりに高く、町の駄菓子屋情報はほとんどインプットしていた。その中でも、セイコイヤチョコレートを取り扱っている駄菓子屋は家から自転車で30分以上走ったところに一軒だけあったのだ。
それだけ苦労して買いに行っても売り切れの場合もあるし、イチゴ味に関しては売り切れている時の方が多かった記憶がある。
だから、僕の中でセコイヤチョコレートは貴重なチョコレートで、特にイチゴ味に関しては幻の商品だった。

時は過ぎて20年。
PIED PIPERも始まり、すっかりファッションの人になっていた僕。
中学、高校と運動も好きだったこともあってどんどんやせて行き、大人になるとジム通いの成果もあって、体系もずっとスリムになっていた。
だが甘党は健在で、もちろん、野望だったトップスのチョコレートケーキ一人食いも、PIED PIPER2年目に適えることが出来た,
そんなある日のことだ。
PIEDPIPERの後輩と話していたときに、なぜか昔好きだったお菓子の話題になって、僕が熱くセコイヤチョコレートの話しをしていた。
セコイヤチョコレートはその時も、どこにでも売っているお菓子ではなく、ごくたまに油断したときにコンビニのお菓子棚の下の方に置かれていることがあった。
熱くセコイヤチョコレートの話しをする僕に、後輩はあきれながらもどこかで見つけたら買っておきますねと、お決まりの社交辞令で仕事に戻って行った。
しかし、数日後に、なんとその後輩がセコイヤチョコレートを手に入れてきたのだ。
「タカさんこれですか?」
少しだけパッケージデザインは変わっていたように思えたが、形状と手に持った時の感触は当時のままだった。
どこにあったと後輩に尋ねると、たまたま入ったコンビニに売っていたと言う。
何年かぶりに食べてみたイチゴ味のセコイヤチョコレート。
程よい甘さとウエハースの軽い食感は、相変わらずの秀逸だった。
あっと言う間に食べ終えてしまった僕は、包み紙を改めて見ることにした。
生産元にフルヤ製菓(たぶんね)とあって、住所とお客様相談センターの電話番号が載っていた。
僕は店の電話から(当時は携帯もパソコンも無い時代)フルヤ製菓さんに電話を掛けて、どこで売っているかを尋ねることにした。
電話に出てくれた中年のおじさん(たぶんね)は、とても親切に対応をしてくれて、
売っている場所を聞くと、都内では数箇所で渋谷近辺には売っていないと言う。
それは困ると食い下がる僕は、とにかく、食べたいからケースで売ってくれないかと懇願してみたが、小売は一切していないんです……とおじさんも困った様子。
それは会社の決まりごとで、必死に食い下がる見知らぬ男の要望なんてどうしようもない。
僕は小学校のころからの大ファンでと、どれだけセコイヤチョコレートが好きだったかを力説していた。
しかし、会社の決まりは決まりで、おじさんも申し訳ないです……の一点張り。
僕は押し問答を繰り返す中で、だんだんと怒りを覚えてきた。
こんなに食べたいと言っているのに、しかも、ただでくれとは言っていないと!声を荒げる僕。普段めったに怒らない僕が声を荒げているから、後輩は何事かと思うと駄菓子のチョコレートをどうやったら手に入れられるかで必死になっている僕に、きっとあきれたことだろう。ふだん、仕事もこれくらい一生懸命にやればいいのにと後輩が思ったかはしらない。
だが、おじさんにはその思いが届いた。
「わかりました……。そこまで当社のお菓子を食べたいと言ってくださるお客様と、私は今までお話ししたことがありません。絶対にやらないことなのですが、特別に私から1ケースをプレゼントします」
狭い店を行ったりきたりしながら話していた僕の足が止まった。
「えっ?」
「ここまで思ってくれるのは、お菓子メーカーとしてとても光栄なことです。ですが、このことは二人だけの秘密にしていてくださいね」
と、まさに思いもよらないおじさんの対応に、僕はどうしようもなくなって、
「それは駄目です!お金を払います!」
「いえ、私からプレゼントします」
「いえいえ、お金を!」「いいえ、大丈夫です」
と再び押し問答が始まったが、最終的にはおじさんの行為を受けることにした。
僕は受話器越しに何度も深々と頭を下げてお礼を述べていた。

それから数日後。
チョコレート味とイチゴ味のセコイヤチョコレートが満載になったダンボールが店に送られてきた。
後輩スタッフと分けながら大事に食べたことは言うまでも無い。
今でもどこにでも売っているお菓子では無いが、当時よりは売っている店舗は増えているので、たまに見かけることがある。
やはり、その時もガバッと大人買いをしてしまう僕がいる。
皆さんもぜひ、コンビニの棚の下の方に置かれているセコイヤチョコレートを見かけたら、一本手に取ってみるといいですよ。
では。また。

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事務所にて。。。少年時代。。。プロローグ

2013 年 5 月 2 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
いい季節になりましたね。
花粉症も落ち着いて来たので、ようやく春を満喫できます。
さて、このブログは僕専用にリニューアルしたこともあるので、連載でも書いてみようかなと思っています。
そう、僕の個人的な話を書いてみます。

第1話
「ジャンケン屁が出るブブッブー!ブブッブー!」
「ブブッブー!」
「やりー、勝ち!!」
これは、誰が考案したのか忘れてしまったが、たしか小学校4年生のころに流行ったジャンケンの掛け声だ。

1980年、東京の蒲田と言う下町に僕は生まれた。
家族構成は両親に兄が二人。そして、父方のおばあちゃんの6人家族。
父親は悪役俳優を生業とし、かなり特殊な家庭環境だった。
どんな風に特殊だったかは、書いて行くうちにエピソードが出てくるだろう。
僕の生まれ育った蒲田は、社会の授業で習った太平洋ベルトの一角、京浜工業地帯にあり多摩川を挟んだ川崎の隣町だ。
羽田、蒲田、川崎と言うと東京に住んでいる人たちからは、柄が悪いとか怖い町とか、行くと必ずかつあげに会うとまで言われてしまう町だった。
まぁ、実際に住んでいた僕からしても、お世辞にも上品な町とは言えない。
親父が空き巣常習犯で息子が万引き常習犯、絶対に近所を狙わないと言う暗黙のルールがあったから通報もされずに不思議と成り立っていた家族も居たし、金八先生の腐ったみかんシリーズは、隣の中学校がモデル校だと言う噂もあったし、僕が通っていた中学校では、よく廊下をバイクが走り抜けたし、教室にロケット花火が打ち込まれることもあった。週に何度かは警察がやって来て、どこからどう見ても中学生には見えない貫禄を持った先輩たちと睨み合うこともたまにあった。
噂によると、初のコンビニ強盗は蒲田で発生したなんて言う不名誉な噂もあったし、たまに見かけるギターケースにロンドンブーツを履いた長髪の風変わりな男性が、ギタリストのCharだったことは後から知って驚きだった。
夏になるとホームレス対僕らの公園の主導権争いもきまって勃発した。
こうやって文字にしてみると、本当にとんでもない町だな……と思ってしまうが、ここで暮らし育った僕としては、下町特有の人の温かさがあり、蒲田の町が全てで天国だった。
 そんな町の僕らの中心は、目蒲線(今は目黒線)沿いの小さな公園、3丁目公園だった。

「ウーウーウー!光化学スモッグ注意報が発令されました。屋外での遊びは控えてお家へ帰りましょう」
公害問題の最中で、夏の午後は毎日のように光化学スモッグ注意報が発令された。
相も変わらずに、この日もスピーカーから割れた音で注意報が流れると、小さい子供たちは母親に手を引かれ家へ帰っていった。
缶蹴り、ケイドロ、ドッチボールにキックベース、僕らはこの公園を隅々まで使って遊んでいたので、そうなると、公園は僕ら専用の遊び場と化す。
多少、喉が痛くなろうが、目がチカチカしようが、そんなことはお構いない。
公園を占拠し遊べることの方が僕らには重要だった。
「ジャンケン屁が出るブブッブー!ブブッブー!」
「ブブッブー!」
「やりー、勝ち!!」
ジャンケンに負けた奴が空き缶を足で抑えて、声高に数を数え始める。
みんなは散らばるように色んなところへ身を隠す中、僕はお決まりの茂みに隠れた。
僕は茂みの葉っぱの隙間から見える空を見上げるのがとても好きだった。
青空に浮かぶ夏特有の入道雲。
じっとその雲を見つめていると、僕の意識はどんどん雲に近づいていき、友達の嬌声も遠くなっていくように感じた。
僕の意識はいつのまにか、モクモクと立ち上る入道雲へと入っていく。
雲のベッドに横たわり、少しだけ千切って口へほお張ると、何故か入道雲は綿菓子の味がした。
僕は茂みに身を潜めながら、空想上で入道雲を自由に行きかう遊びが大好きで、ひとしきり雲の中で遊ぶと、缶を守っている鬼の隙をついて、一気に駆け寄り缶を蹴り上げた。
 甘いものが好きで、小遣いは全て駄菓子とアイスに消えて行った僕は、丸々と太っていて、きょうつけをするとオチンチンが膨らんだお腹で見えず、手首にはいつも輪ゴムをしているようなしわがあったくらいだ。
だが、足は速くて小学校の6年間、ずっとリレーの選手にも選ばれていたから、動ける明るいデブだった。
 必死に友達を探している鬼の隙をついて、缶を蹴り上げる。
青空に舞い上がる空き缶。
この3丁目公園、遊び場道路、駅前に続くアーケード、駅ビルの屋上。
多摩川の土手に広がる野球場。本門寺の裏山と力道山の銅像がある墓地。
とにかく、僕たちにとって蒲田の町の全てが遊びのフィールドで、いくらでも新しい遊びを思いつき、今では考えられないような危険なことも行っていた。
そんな、蒲田で繰り広げられた亀石家を中心にしたお話しを、これからか気が向いたときに書いて行きます。
では、また。

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2013.3.11 東日本大震災から二年を迎えて

2013 年 3 月 11 日 Comments off

東日本大震災の発生から二年を迎えるに当たり、改めて犠牲になられましたすべての方々に対しまして、謹んで哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた方々に対しまして、心からお見舞いを申し上げます。

テレビや実際に現地へ足を運ばせて行かせていく中で、いまだ多くの方々が震災により苦しんでいる姿を見て、改めて今の私たちに出来ることは、この事実を絶対に忘れないことだと強く感じています。
 過酷な状況の中で、夢に向かい必死に努力している若者たちや、限られた環境の中で笑顔を失わずに、前を向いている子供たちの姿を見るたびに、今を生きる私たち大人がやらなければいけないこと、やれることが見えてきます。

2万人近い尊い命を失った事実は決して消えることはありません。
その背景にどれだけの悲しみと苦しみがあることも、私たちには想像できます。
もう一度、自分の命がどれだけ貴重で、どれだけの確立で生まれてきたのかを考える必要があります。
いまこの瞬間に生きている私たち大人は、これだけ抱えてしまった社会の問題に対して、もしかしたら解決の糸口を見つけるために生まれてきたのかもしれないと、私は思います。
そう思うと、それだけで自分の命に誇りが持て、生きるための大きな目標と、意味を見つけられます。

そして、何より全ての生命の大切さに気付くことが出来ます。
命の大切さを知り、人への思いやりや、自分以外の全てに対して感謝を知ることが出来ます。
そのために、自分の心がどこにあるのかを考え、自分の心がどこに向かおうとしているのかを見つめなおすことだと思います。

 これからも、リバースメンバーとして、一人の大人として、未来の私たちの社会構築のために、努力を惜しまないつもりです。
改めて、失った命と、悲しみの心へ、黙祷を捧げたいと思います。

2013.3.11

株式会社リバースプロジェクト
副代表 亀石 太夏匡

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後悔しない航海のために。

2013 年 3 月 4 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
リバースプロジェクトのHPのリニューアルに合わせて、ブログもリニューアルし、タイトルがなんと、「龜石太夏匡ブログ」!!
更新が遅くなり失礼しました。。。
リニューアルをメンバーに任せていたので、今更ながらたいそうなタイトルを付けてくれたなぁ。。。と、ちょっと字面に驚きながら、負けずに書いていこうと思っています。
そんなわけで、少しリニューアルから遅れましたが、これからは定期的に思いを綴って行きますので、時間潰しのお供に使ってください。

リバースプロジェクトを立ち上げて4年、今年から僕がリバースプロジェクトの代表取締役社長にも就任し(友介も代表です!)、事実上の2トップで今後のリバースプロジェクトは進んで行きます。
振り返ると、「カクト(伊勢谷監督第1回監督作品)」を撮り終えて、それまで目標にしていた映画作りを達成した僕と友介は、新たな目標を設定するために、これからどのように生きていくかを徹底して話したのを覚えてます。
どの道に進むにしても、何かをやる上で環境問題や社会問題を避けて通るわけには行かない。僕たちはこの地球上で生きていくわけだから、この問題を誰かが解決していかなければならない。
そこで、自分たちが出した答えが、
「人類が地球に生き残るために今を生きる大人が何をすべきか?」
これを絶対理念とし、今後の自分たちの行動に紐付けて行こうと考え、「セイジ-陸の魚-」が生まれ、「リバースプロジェクト」の立上げに繋がって行きました。
ここで、重要なのは何をすると言う話しからではなく、どう生きるかとか、どう言う大人になるかと言うところから始めて、そこから何をするかを考えたことです。
目指すべき大きな目標(フロンティア)を設定し、目の前に広がる大海をどうやって渡って行くのかを考えたのです。
これから何かを始めようと考えている皆さん。
もしくは、これから社会に出て行く学生の皆さんも想像してみてください。
大海を渡って目指すべきフロンティアにたどり着くためには、最初に沖に出る労力が必要であることを。トム・ハンクス主演の映画「キャスト・アウェイ」でも沖へ出るために努力を重ね何度もチャレンジをしています。
沖へ出るには波が立ち、潮の流れが速く、目指すべき方向に進まずに陸地へ戻されてしまうこともあります。
どんな道へ進むにしても、何をやるにしても新たなことにチャレンジするためには大変な苦労が付き纏うものです。
そこで、重要なのは大海を渡る前に、目指すべきフロンティアを設定し、時間が掛かったとしても準備に手を抜かず、腹を決めて勇気を持って漕ぎ出すことです。
大切なのは、苦労して沖へ出る時になるべく自分が目指す航路を取ることです。
目指す航路に進むために、船の種類はたくさんあります。
大きな客船のような船もあり、乗組員の一人として乗船するのも良いでしょう。
たった一人で手漕ぎボートで漕ぎ出す自由だってあります。
友人たちとエンジン付きのボートを用意するのも良いでしょう。
どんな人にも共通して言えることは、絶対に船を漕ぎ出す瞬間は来ることです。
それは、時間と労力が掛かることを覚悟することです。
だったら、大切な自分の人生を使うのだから、自分だけのフロンティアを目指すべきだと私は思います。
そうやって、頑張って沖に出たとして、そこからが本当の勝負になってきます。
凪で全く進まないこともあるし、嵐が来て船から振り落とされそうになることもあるでしょう。潮の流れに乗って、黙っていても進む瞬間もあるかもしれません。
後悔しない航海にして行きましょう。
他でもない、僕自身の航海のために。
そして、皆さん自身の航海のために。
では。。。

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事務所にて。。。BARはじめました。

2012 年 9 月 12 日 Comments off

皆さん、お元気ですか?
まだまだ残暑が厳しいですね。
夏の疲れが溜まっている時だからこそ、自分の身体と心と対話をし、無理のないペースで仕事や学業に励みましょう!

さて……BARはじめました!
先週に、PRBAR(PIED PIPER REBIRTH PROJECT BAR)がオープンをしたのです。リバースプロジェクトがプロデュースをし、コンセプト、内装などを手がけたこのBAR。リバース事務所が同じビルの二階にあるため、僕は仕事終わりですぐに一杯と、ビール好きの僕としてはまさに幸せ……。
このBARは、PIED PIPERと言う二十代の頃に兄弟でやっていた洋服ブランドとのコラボレーションでもあります。
思い起こせば十数年以上も前、僕が原宿にあった系列店「A NEW SHOP」で店長をしていた時のこと。
今では目新しくは無いが、ショップの内にカフェを常設した画期的な店でした。
木造の大きなカウンターとテーブル席、カウンター内には業務用の冷凍・冷蔵庫、製氷機、もちろんシンクもあり、カフェ営業に全く問題の無いスペックを兼ね備えていました。
内装もウッド調で何処かパイレーツ・オブ・カリビアンのようなエキゾチックな雰囲気があり、オオムが入った鳥籠も天井から吊るされていました。
僕に懐いていたオオムはたまに籠から外に出て、僕の肩に載って一緒に接客をしていたこともありました。
今では考えられませんね……まるで海賊船の船長……
当時は自分たちの感性に任せて面白いと思うことや、かっこいいと思うことにチャレンジをし、トライアンドエラーを繰り返し、多くの経験を積むことが出来ました。
その中の一つに、僕は昔からお酒を飲んで大いに語らうことが好きだったこともあり、毎週金曜日の夜だけ、シークレットBARをやろうとなったのです。
洋服が掛かっている壁に赤いベルベットのカーテンを引き、棚置きした洋服はストックルームに仕舞い、その棚をテーブルとして使い、仲の良い同世代のスタッフでワンコインバーを始めたのです。
その名も「TAKA’S BAR」(ダッサイね……)
最初は友達が集まって仲間飲みのようなBARでしたが、仲間が仲間を呼び多くの方々が集まる遊び場になって行きました。
友介と僕の合同誕生日も毎年ここで行われ、ピーク時は100人を超える仲間が集まって、朝まで飲み明かしていました。
結局、五年ほどやっていたかな。
多くの出会いがあり、そこから結婚にまで発展した友もいたし、そこで繋がって仕事も生まれたし、素晴らしい出会いがたくさんありました。
十数年の時を経て、また兄貴たちと一緒にエシカル素材を用いたブランドを立ち上げ、そして、PRBARをオープンすることが出来たのです。
新たなページが開かれました。
ここでは、どんな出会いがあり、どんな素晴らしい瞬間に立ち会えるでしょうか。
地下へ続く階段を降り、重い鉄の扉を開くと、そこには新たな世界が広がっています。
カウンターでビールを飲んでいる僕を見かけたら、遠慮なく声を掛けてください。
そして、明日のことや未来のことを論じ合いましょう!
では、また!

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事務所にて。。。終戦記念日。

2012 年 8 月 15 日 Comments off

あの日も、今日のように夏の陽射しがジリジリと照らし、
蝉の声が鳴り響いていたのだろうか。
終戦から67年の歳月が経った。
戦後の復興を経て平和と言う名のもとに、僕らは何不自由なく生きてきた。
そして、その結果が、年間3万人以上の自殺者を出し、
年間に1千万トン以上の食べ物をゴミ箱に捨て、
あれだけの事故を起こしながら経済合理主義を傘に永遠に残る核の廃棄物を生み続け、
若者たちからは夢を奪い、
自分だけが幸せに生きれれば良いと言う薄汚い価値観がはびこり、
想像力を失い、
多くの命を懸けて守ろうとした国の領土すら守れず、国の威厳すら失われている。
国を守ろうと、家族を守ろうと、多くの若者たちの命が散って行き、
遠い異国の地で故郷に思いを馳せながら無数の命が尽きて行った。
空襲によって無差別に焼き殺された幼子や女や老人たちがいた。
原爆により一瞬にして街ごと焼き尽くされた。
わずか67年前だ。
僕らはこの同胞の尊い命の代償を無にせずに生きてきたのだろうか。
戦争経験の無い僕らは、この67年と言う歳月を遠い昔の過去にしてしまったのだろうか。
昨年起きた東日本大震災ですら忘れてしまっているのではないだろうか。
もう一度僕らが考えなければいけないことは、
僕らが生きているこの今と言う現実は、
失われた多くの尊い人命の上に成り立っていると言うことだ。
隣国では領土問題で実効支配をしようとやっきになっている。
靖国に参拝をすることすら咎められ、愛国心を口にすれば軍国主義だと批判される。
この日本は僕らが生まれ、子供たちが生きていく大切な国だ。
もう一度、自分たちが生きていくこの日本について一人ひとりが考えなければいけない。
毅然とした強さを持たなければいけない。
相手のことを思う想像力を持たなければいけない。
意見も聞き、自分の考え方を伝える聡明さを持たなければいけない。
国は僕ら一人ひとりが創り上げると言う責任感を持たなければいけない。
そのためには、僕らは努力を惜しんではいけない。
決して諦めてはいけない。
もう、右も左も関係無い。
必要なのは浄化された人たちのレベルアップされた力だ。
イデオロギーや政治体制で人間社会が改善されたことが無いことは、
歴史が証明をしている。

せめて、夏のこの日だけは、戦没者の慰霊と再び戦争を起こさないために、
黙祷を捧げながら、自分たちが生きるこの日本を考え、
未来における自分たちの役割を想像することだと僕は思う。

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